僕は人生を通じて、
深く礼をする習慣がなかった。
学生時代、朝の朝礼での挨拶でも、
ペコリと頭を下げる程度。
深く礼をすることに、
何となく恥ずかしいという気持ちも
あったように思う。
僕が深い礼を意識するようになったのは、
制服を着た女子高生が、
神社の鳥居の前で深く一礼する写真を
見た時からだ。
その写真からは神々しささえ
感じられた。
そこに添えられていた文章には、
女子高生はミッション系の高校に通っており、
「自分はキリスト教を信じているが、
日本では神社の鳥居の前で礼をすることに
なっている。
自分はどうすればいいだろうか?」
と、確か神父さんにだったと思うが、
尋ねたという。
それに対して神父さんは
「キリスト教徒が神社の鳥居の前で
一礼することに何の問題もありません」
と答えたという。
そして、その女子高生は、
通学途中にある神社の鳥居の前で、
朝と帰りの時に礼を
欠かさなくなったのだという。
その女子高生の礼をする姿に感動して、
僕も深い礼を心がけるようになった。
人と挨拶する時、
人が集まって集合で挨拶する時、
それまでより深く頭を下げてみた。
深く頭を下げると、
それがとても気持ちの良いもの
であることに気づかされる。
それと同時に、
何かスイッチが入るような
感覚も覚える。
日本の武道などは
「礼に始まり礼に終わる」といわれるが、
その礼は、まず相手や道場など様々なものに対する
敬意を表しているのだろうが、
スイッチのオン・オフの機能も
果たしているようにも思う。
神社の拝礼の作法は
「二拝二拍手一拝」といわれるが、
評論家の竹田恒泰氏によると、
神様に対する拝礼は、
通常の礼とは違うらしい。
礼には相手によって深さに違いがあり、
神社では相手が神様なのだから、
最上級の腰を90度にまげて
礼をするのが作法なのだという。
まあ、あまり深く曲げすぎて
前につんのめって、
神様の前で恥をかかないように
心したいものだ。
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