都内ではウーバーイーツの
ロゴ入りのリュックを背負って、
自転車で走り去る配達員を目にすることも
少なくなくなった。
日本の飲食店には出前があって、
そもそも配達料を取らないできたのに、
料理の値段に配達料など各種手数料をプラスする
このサービスが定着するのは
難しいのではないかと思っていた。
配達手数料は、様々な条件によって変動するようだが、
概ね300円~500円といったところだろうか?
配達員にしてみれば10件の配達があれば
1日に3,000円~5,000円の収入になるので
空いている時間を利用してということなら、
それほど悪くないのかもしれない。
しかしながら、もし1件しか配達がなければ、
せっかく時間を空けておいても
300円~500円の小銭しか手にできない。
詳しい実態は僕にはわからない。
街でウーバーイーツの配達員を最初に見かけたとき、
昔見た「自転車泥棒」という映画を思い出した。
「自転車泥棒」は第二次世界大戦後の
貧困にあえぐイタリア社会を描いた
ネオリアリズムの代表作とされる映画だ。
映画を見た印象を言えば、
貧しい社会の中で、さらに極貧生活にあえぐ
お隣の食卓を覗き見たような、
何ともやりきれない気分になる、
救いのない映画だった。
第22回アカデミー賞の名誉賞をはじめ、
様々な映画賞に輝いたというが、
こんな救いのない映画を誰が見るのだろう?
映画は2年間職に就けなかった男が、
職業安定所の紹介で役所のポスター貼りの
仕事を得るところから始まる。
仕事には自転車が必要なのだが、
男の自転車は質に入っており、
妻がベッドのシーツを質に入れ、
そのお金で自転車を取り戻す。
男は幼い息子を自転車に乗せ、
意気揚々と仕事に出かけるが、
仕事の初日、ポスターを貼っている最中に
自転車を盗まれてしまう。
それから盗まれた自転車を取り戻す
長い長い探索が続くのである。
映画の終盤、
自転車探しに絶望した男の目に、
人気のない通りに止められた
一台の自転車が眼に入る。
男はフラフラと誘われるようにその自転車に近づき、
盗んで逃げ去ろうとするが、
途中で取り押さえられてしまう。
捕まえた人々は男を警察に突き出そうとするが、
泣きながら父にしがみ付こうとする幼い息子を見て、
自転車の持ち主は「見逃してやる」と言う。
男は涙を流し、息子と手をつなぎながら
街の雑踏を歩いていく、
というところで映画は終わる。
この映画のポスター貼りの仕事が、
ウーバーイーツの自転車で料理の配達をする
という仕事と、妙に重なって見えたのだ。
空いた時間を上手に使う、
ということで配達人を募っているようだが、
結局、儲かるのは間に入ったウーバーイーツだけで、
配達人には何の保証もなく、
使い捨てられるばかりだ。
こうした仕事に若者が向かうのは、
日本が極端に貧困化してきた証拠で、
貧困社会では労働者の権利よりも
とにかく働けることが優先される。
最低限の保証もなく、
いつ仕事が入るかもわからず、
仕事が入っても1件数百円という労働条件は、
ある意味、格差社会が生んだ
究極の仕事のカタチと
言えないだろうか?
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